挫折した時にいつも思い出すこと

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アメリカに来て研修を開始してから、最初の大きな挫折を経験しました。簡単に言うと研修で指導医からダメ出しをもらってしまい、研修が途中で中止になってしまいました。もっと上手くやれたのではないかという後悔、情報不足で十分な準備ができなかった悔しさ、変に日本人らしい謙遜の言葉を使ってしまったことへの反省、色々ネガティブな感情に苛まれ、本当に凹みます。正直にもらった批判を受け入れなければと思う一方で、自分の良さである勤勉やチームのための犠牲といったクオリティを出す前に、非常に短い期間で落第の判子を押されてしまったことに対して理不尽さも感じます。矛盾する感情が入り乱れて、非常に落ち込んでしまいました。それでも、メンターや同僚に励ましてもらいながら、数日経って少しずつ気持ちが回復してきました。異国にいながらも、自分を励まして支えてくれるメンターの先生や、日本人医師の仲間がいることをとても心強く思うし、とても感謝しています。

皆さんは辛いを思いをした時にどうやって、その経験を乗り越えているでしょうか?それぞれにこれまでの人生経験や生き方から、ある程度決まった対処法を持っている人もいるのではないでしょうか?自分の場合は、こうやって落ち込んだ時は最終的には『命があって健康に生きているだけで十分に幸せじゃないか』と思うようにしています(し、本当にそうだと思っています。)世の中には生きたくても生きられない人だってたくさんいます。若くして悪性腫瘍を発症し、多くの未練を残しながら亡くなる人もいれば、ある日突然交通事故にあって亡くなってしまう人だっているわけです。命があって健康に暮らせる喜びに比べたら、研修で落第した悲しみなんて、たかがしれていますよね。本当に凹みましたが、今回の経験で命が取られるわけではないし、卒業できなくなるわけでもないし、こんなことでいつまでも落ち込んでおらず、反省できるところは反省して、具体的な行動をもって修正しながら前を向いて進んでいくしかないですよね。

自分がこのような考え方を抱くようになったのは、自分が医学生の時に菊池病という比較的珍しい病気に罹患したことは大きく影響しています。当時は生検の結果を聞くまでは悪性リンパ腫でほぼ間違いないだろうという診断を主治医から聞いていました。現代の治療の進歩を考えれば、この診断がすぐに死を意味する訳ではもちろんないのですが、当時の自分にとっては自分に残された時間で何ができるのか、何を大切にすべきなのか、後悔せずに生きるとはどういうことなのか、ということを強く意識した瞬間でした。死を意識するということは、毎日を素晴らしく生きるために本当に重要なことです。これはスティーブ・ジョブズの伝説のスピーチでも言われていますが、死を意識することで本当に大切なこと以外の全てがとるに足らないちっぽけなことになります。

ただ、これが本当に人間の悲しいところなのですが、あれだけ辛い思いをしたはずなのに、今でも当時の感情を忘れて、今この時一瞬を適当に過ごしてしまうことがある訳です。なので、自分は今でも、当時の自分が書いた文章を折に触れて読み返します。この文章は自分の人間としての原点で、今でもこの文章を読みながら気持ちを引き締めています。自分の経験が誰かを勇気づけたり、何かのきっかけになるかもしれないと思い、ブログで当時の自分の思いをシェアさせてもらいます。当時自分は医学部6年生、ちょうど西医大が終わり、ラグビー部を引退し、卒業試験に向けての勉強を開始した頃のことです。

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8月の下旬から頚部のリンパ節腫脹を精査していたのですが、本日生検をし、術中迅速病理検査の結果、悪性リンパ腫ではなく、壊死性リンパ節炎で、心配はいらないということでした。リンパ節炎で大丈夫だったという結果を手術室から出てすぐ親に伝えました。お母さんは泣いていました。お父さんも泣いていました。僕も泣いていました。家族…そしてなにより側で支えてくれるパートナーの大きな支えがなければ僕は精神的に確実に潰れていたと思います。それくらいしんどかった。特にPET-CTの所見を聞いてから今日までの1週間は僕の今までの人生で間違いなく一番辛い期間でした。

7月の後半から頚部のリンパ節が腫脹してきており、8月の中旬から微熱が下がらなくなりました。8月の中旬に近医を受診し、紹介状を持って8月23日に大学病院を受診しました。頚部リンパ節がエコーで円形、採血でs-IL2R高値ということで精査開始、病院の実習を途中で抜けたのも本当は身内の不幸ではなく、自分の体に精査が必要なことが分かったからでした。造影CT、PET-CTをとり、PET-CTでは左頚部の他に左の腋窩リンパ節、右の外腸骨リンパ節にも集積が見られました。非特異的なリンパ節腫脹よりは腫瘍の方が疑わしい所見だと言われました。頭の中は不安しかありませんでした。もし悪性リンパ腫なら、化学療法が必要で卒業は諦めて治療に専念した方がいいと言われました。卒業なんてどうでもいい、命さえあればいいので、命だけは奪わないでほしいと思っていました。卒業試験も勉強などもちろん上の空で、適当にいなしていました。二人になる機会のあった一部の友達には伝えましたが、なるべく顔には出さないように心がけていました。でも後輩からも言われたのですが、死にそうな顔をしていたかもしれません。相談した友達にも話の内容とか気を使わせてしまっていたと思います。卒業旅行の話とかしにくかったよね。本当に心配をかけたと思います。

でもこの経験は本当に貴重な経験でした。PET-CTの結果を聞いた日の僕の手帳の記載を書きます。

『思えば僕はまだ生まれてから与えられてしかいない。親から与えられ、彼女から与えられ、社会から与えられ。まだなんにも返せていない。親孝行は何一つしていない。彼女と幸せな家庭を作る約束は守れない。医師として社会に貢献できていない。俺は何一つ周りに、大切な人に返せていない。それが本当に、本当に無念です。これからだったのに。』

まず一番に思ったのはこういったことでした。これはガチで書いた文章です。おかしいでしょうか。しかし、これが心にある本当の気持ちでした。もし、化学療法をすることになって、寿命ももしかしたらそんなに長く生きられない可能性もあるかもしれない。一番の後悔はまだ親孝行を何一つできていないこと、そして、パートナーとの幸せな思い出がまだ少なすぎることでした。はたからみたら大げさに見えるかもしれませんが、これは本気で自分が先の長くない病気にかかったと思ったから感じられたことです。当たり前だった日々が当たり前じゃなくなることの恐怖。人生ってずっと続くものだと思っていませんか?僕だって医学生だし、人はいつか死ぬことくらい分かっています。でもそれがいつ来るかなんて分かりません。自分の思っているより、もしかしたらずっと早くに死がくるかもしれない。日々健康でいることが奇跡です。生検の結果を聞き、親と泣きながら受付に向かう中で、自分がポリクリで一年間過ごしてきた病棟ではこんなドラマが毎日何回も何回も起きているのだろうなとふと思いました。正直なめていました。30代で白血病になった子供がいる女性の患者さん。60歳で膵癌になり、ずっと何十年も続けてきたパートの仕事を最近リタイアした患者さん。僕がポリクリで担当した患者さんです。僕は患者さんが病気に立ち向かう覚悟やその側で起きているいろんなドラマに全く気づいていませんでした。もっと軽く考えていたのだと思います。本当に辛くて辛くてどうしようもないくらい辛かった経験ですが、この経験は人生で必ずプラスになると思っています。自分が患者として得た経験が、医師としてこれから成長していく自分の原点であり、かけがえのない財産だと確信しています。

最後に、今回の件に関しては本当に家族とパートナーの存在が大きかったです。家族に自分が悪性リンパ腫疑いであることを伝えた時『総力を上げてサポートするから。もし悪性リンパ腫でも最善の治療を探そうね』と言われました。本当に頼もしい言葉で嬉しくて嬉しくて…。家族って本当にいいと思います。きっと僕はいつまでもお母さんとお父さんの子供なのだと思う。パートナーは家族に相談するずっと前から相談していました。多分パートナーも僕のバッドニュースを聞いて相当辛かったと思うのですが僕の前ではいっさいそんな不安な素振りをみせずに、精神的に不安定な僕を支えてくれました。素晴らしい人とめぐり逢えて本当に良かったと心から思った瞬間でした。

今はとにかくホッとした気持ちです。軽い脱力、放心状態かもしれません。日々健康である幸せを噛み締めて…毎日を過ごしてきたいと思います。
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ちなみに、あれから自分は無事に医師となり、総合診療医・家庭医として働いています。一生懸命患者のために働いて、少しは世間にも勉強させてもらえた恩を返すことはできたのではないかと思います。当時のパートナーと結婚し、現在は2人の子供がいます。家族は世の中で自分の命を犠牲にしても守りたい唯一の存在です。自分が死んだとしても、子供が成人するのになんとかなるであろうお金は生命保険で降りるようになっています。親にも多少の親孝行はできたような気がします(と、思っていたのですが、結局米国に来ることになって、今でも親には世話になりっぱなしです・・・)。当然自分はまだまだ生きてやりたいことはいっぱいあるし、絶対に死にたくはありません。ですが、当時と比べたら・・・、もし自分が死んだとしたら、その時に感じる無念さや後悔の程度は少しずつではあるのですが、下がっているのかもしれません(もちろん繰り返しですが、無念には思うだろうし、後悔も残るので、絶対に死にたくありません、あくまでも程度の問題です)。人生後何年生きれるかは分からないのですが、こうやって時間が経つにつれて、少しずつ死を受容できるようになっていくのでしょうか?80歳程度までは生きることができたら、ある程度人生を生き切ったと思うことができるかなーと想像したりしてみますが、年を重ねたら重ねたで、また色々とやりたいことが出てきて、結局後悔がゼロになることはないのかもしれないのかもしれません。こればかりは実際に年を重ねてみないと分からない感情なのかもしれません。でも人生を毎日一生懸命生きることは、自分が少しでも悔いなく死を迎えるために大切なことであることは間違いはないと思います。

たまに勘違いされるのですが、自分はメンタルは全く強くありません。今回のようなショックな出来事がある度に、いちいち取り乱してしまいます。それでも、これまでの人生の中で自分が残した文章が、自分を救って、また前を向かせてくれるのです。人間はどうしても忘れる生き物です。強い決意など簡単に消え去ります。死を意識した体験でさえ、それを毎日自分の心に保持して、自分を強く保てているかと言われると、怪しかったりするわけです。どんどん新しいものが入ってきては、それと同じくらいのもの自分から出ていってしまう。だからこそ、体験したことや考えたことを記録し、そして時々時間をとってそれを振り返ることには大きな意味があると思います。自分がどう生きたいのか、何を大切にしたいのか、限られた時間を何に捧ぐのか、折を見て自分の人生を振り返り、人生の舵を見直しながら、前に進んでいきたいと思います。

-雑記

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