英語を話せる医師に変えてくれ!

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さすがに2年間以上も米国の臨床の現場で働くと、日常の診療で大きく困ることはないのですが、今でも正直に告白すると患者の会話をうまく聞き取れないことはあります。特に高齢の患者や歯牙が欠損している患者の場合は、何回も聞き直さないといけないこともあります。チームで回診している時も患者がなんと言ったか分からず、自分の頭の上にだけ?マークが浮かんでいる時もあります。また、今でも雑談は苦手で、みんなで食事に行ったりするととても疲れてしまいます。何が言いたいかと言うと、2年間も米国で過ごしているにも関わらず、未だにこんな感じなのです。自分のように大人になってから英語を学び始めた純ジャパニーズにとって、やはり英語の壁は完全に取り払えるものではないのです。それでも上に書いた通りですが、実際の診療の現場での医学的な会話については大きな困難を感じることはありません。会話の些細な部分が拾えなくても、文脈から理解する必要がないと思えば、聞こえたふりをしてやり過ごすこともありますし、診療において重要だと思った場合は、聞き方を工夫して自分が聞き取れなかったことを悟られないようにしながら、会話の内容を確認することができるようになったのだと思います。

それでも、先日外来で一人の患者さんに何回か聞き直していたところ『 I need to speak with a doctor who can speak English (英語の話せる医師に代えてくれ)』と言われてしまいました。一度部屋を出て上司に報告している間に、患者は診察室からいなくなっていました。非常に傷ついたのですが、今回の件を通して一つ感じたことがあります。それは今回は上司が自分を守ってくれたということです。

以前の記事にも書いたように、2021年に渡米した直後は患者だけではなくて、身内である指導医からも自分の英語について厳しい評価をもらいました。当時は、自分の英語の能力が著しく低いと認識されていたので、英語についての批評についてはその全てを甘んじて受け入れるしかありませんでした。しかし、今回については、指導医は、自分の英語はコミュニケーションするには十分という認識を持っているため、むしろ患者が日本人訛りのある自分の英語に対して不快な感情を抱き、自分に差別的な発言をしたのだろう、という認識がなされました。

似たようなことを言われても、昔と今ではその後の結論が変わっている、という事実は自分にとって大変興味深くうつりました。一般的には私たち日本人がこのような言い方をされた場合には、差別的な発言を受けたと捉えられることが多いのだと思います。先日米国で育ち、臨床の現場で働いている友人と話しましたが、彼女の英語はほとんどNativeであるにも関わらず、アジア人という理由で同じようなことを言われることがある、と言っていました。しかし、このような言葉が差別である、と認識されるためには、自分の言語能力に対する周囲からの信頼が必要なわけで、本当に自分の言語能力が足りていないときは、たとえその言葉が多少差別的なニュアンスを含んでいたとしても、受け入れなければならない批判になるのです。この境界を、自分は気づかぬうちに超えていたのでしょうが、いつ越えたのかは正直よく分かりません。

このように辛い発言を受けた時に、周囲から『あなたの英語は下手だから、そういうことを言われても仕方ないよね』と返されるか、それとも『それは差別的な発言だから許せない』と自分を擁護してくれるか、この差は精神的にかなり大きいです。そう意味でも臨床医が渡米してから一番大変時期は、この境界を越えるまで、つまり身内である指導医からある程度の信用や信頼を得るまでなのではないでしょうか。守ってくれる人の有り難さを感じると同時に、改めてきっちりと能力や実力を示さないといけないアメリカ社会の厳しさを思い出す出来事でした。

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