コロナが臨床留学に与えた影響

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気づけばもう3月です。自分が米国に来てから1年と9ヶ月、家族が米国に来てからもうすぐ1年が経過します。英語に"Time flies"と表現があります。時間が経つのは一瞬であるという意味なのですが、面白い表現ですよね。あと数ヶ月もすれば、一つ上の先輩も卒業し、今度は自分たちが最高学年になる今、同期のレジデントとの会話の中で頻回に使う表現の一つです。しかし、自分は過ぎ去る時の速さに切なさを感じる一方で、昔に戻りたいと思うことはほとんどなかったりします。米国に来るまでの道のりを振り返ると、本当に常に精一杯だったので、当時に戻ったとしてももう一度乗り切れる自信がないからだと思います。特に、みんなそうだと思うのですが、コロナには大きく振り回されました。自分の渡米までのプロセスはコロナと切っても切り離せません。今回の記事はみなさんに興味を持ってもらえるかどうかは分からないのですが、コロナによって大きく心を乱された渡米前の生活のことを思い出してみたいと思います。

コロナへの恐怖

コロナがテレビで取り上げられ始めた2020年の2月ごろについては、自分はまだ対岸の火事のような認識でいました。当時予定していた米国での実習がキャンセルになったので、そのことを悔しく思ったことは覚えていますが、これほどまで世界に、そして自分の生活に大きな影響を与えるとは思ってもみませんでした。2020年の4月ごろになると、実際に自分の周りにポチポチとコロナ感染のニュースが流れ始めて、一気にコロナが日常に浸透してきました。未知の感染症への恐怖はもちろんのこと、自分の場合はコロナによる経済的な不安にも非常に苦しめられました。渡米前の2年間、自分は大学病院の総合診療科で働いていました。その頃は、とにかく臨床留学に向けてお金を貯めようと必死でした。自分が実際に大学病院で働いてみて初めて知ったのですが、大学病院で勤務医として働く場合、僕らが大学からいただく給料は"非常に"少ないです。そのかわりに、ほとんどの医師が週に1-2回、市中の病院やクリニックなどで勤務(外勤)をすることで、大学からもらう給料とは別に収入を得て、結果として市中の病院で働くのと似たような給料になるようになっています。自分の場合は教授に直談判して、臨床留学のために貯金が必要であることを理解してもらい、なるべく大学での勤務を減らして、外勤の時間を増やすようにスケジュールを調整していました。その結果、自分の給料のうち、大学からもらうのは3分の1程度で、残りの3分の2は外勤先のクリニックや病院からの収入となっていました。しかし、コロナの流行によって、多くの病院では感染の伝播を抑制するため『医師の移動を制限しよう』という流れが広がりました。実際にとある関東の大学病院では、大学が医師に対して外勤禁止令を通達しました。加えて、医師を大学から派遣されるクリニック側も、自分のクリニックを守るため、外勤の医師の勤務を断るという現象が起こりました。僕のように大学で勤務する医師にとって、外勤ができなくなることは死活問題でした。外勤先の給料は純粋に時間給なので、勤務できない場合は収入が全くゼロになってしまうからです。自分の場合は、外勤先の先生方のご配慮もあり、何らかの形で外勤を継続させていただくことができましたが、いつ自分がコロナに罹患したり、濃厚接触者になって勤務不能になるか分からない状況でした。結果として、コロナによる長期休暇のせいで経済的に渡米を諦めざるを得ない状況に陥るのではないかと不安とは長い期間付き合うことになりました。

家族がいることが自分の弱みになる?

コロナの恐ろしい点として、たとえ自分が感染しなくても濃厚接触者になってしまうことで活動が一気に制限されてしまうことがありました。当時はコロナの発症者が出ると保健所が過去2日間を遡って、濃厚接触があった場合には、接触のあった人々を濃厚接触者と同定するシステムになっていました。そして、もし濃厚接触者となってしまった場合には、原則最後の接触から14日間、勤務が制限されるというルールになっていました。

自分は2回濃厚接触者となってホテル待機をしましたが、2回とも患者との接触ではなく、他の医療スタッフとの接触でした。当時はまだPCR検査も簡単にはできなかったので、その医療スタッフがコロナ陽性であることが判明したのはいずれも自分が接触してから1週間程度経過してからだったので、結果として自己隔離期間は1週間未満で済んだように記憶しています。当時はGo To Travelキャンペーンと言って、ホテルに割引でお得に泊まれるキャンペーンが政府によって展開されていたのですが、自分の場合はGo To Travelキャンペーンを利用してホテルで格安に自己隔離する、というなんとも皮肉な状況になっていました。PCR検査拡充するまではオーバトリアージが正義だったので、特に2020年の夏ごろまでは、疑わしきは罰するという方針で、職場では保健所とはまた異なる基準で、閾値を下げて濃厚接触者を同定していました。例えば当時は、自分が常にN95マスクとガウンで完全防御していたとしても、自分と同じタイミングで夜勤をしたスタッフがコロナにかかっていた場合は全員濃厚接触者扱い、というよく分からない謎のルールが適用されていました。どれだけ自分が一生懸命プロテクトしても、シフトが一緒だというだけで、濃厚接触者になってしまうこの理不尽なルールを心から憎んでいました。

そして、この濃厚接触者に関して非常に辛かったのが、家族との折り合いでした。自分は当時妻と2人の子供とアパートで暮らしていたのですが、簡単にいうと自分がコロナに罹患するあるいは濃厚接触者になるリスクは、一人で暮らしている場合と比較して4倍になります。もし、例えば子供が学校でコロナをもらってきたとすると、保健所が症状発生から48時間前まで遡って接触を調べるのですが、家族で同じスペースを共有しているので自分はほぼ間違いなく濃厚接触者に該当してしまう、という状況でした。本来であれば家族の存在というのは、社会的にプラスに働くもののはずなのですが、この時は家族の存在を重荷に感じていました。またそのように感じる自分に対して、自己嫌悪感が込み上げていました。この時は大学病院に併設されている職員寮や自宅の近所に別途アパートを借りることを真剣に考えていました。最終的に、『家族は運命共同体だから誰かが陽性になった場合はみんなで陽性になるんだ』と腹を括るまでには相当の時間を要しました。ただし、家族以外からコロナをもらうことだけは絶対に避けようと思い、孤食については徹底しました。2020年の3月から2021年の4月ごろまでは、自分は一度たりとも妻と子供以外の誰とも一緒に食事を取っていません。2021年の4月ごろからは実の両親や義理の両親とは食事を食べるようになりましたが、渡米前に日本で友人と食事をとったことは一度もありませんでした。

コロナによるオンライン化の恩恵

コロナ流行の中で唯一自分にとってプラスに働いたのは、面接のオンライン化でした。通常はレジデンシーのインタビューは実際にその場所に行って、見学などをした後に面接を受けるのが通例です。米国はとても広い国なので、どのような日程でどのように旅程を組むか考えながらインタビューの日程を決めないといけません。このインタビューの旅には皆多くの時間とお金を割いており、同期の中には、1ヶ月の休みをとって約100万円かけてインタビュー旅を断行した友人もいました。しかし、コロナのおかげで全てのプロセスがオンライン化されたことで、自分の年は実際に米国に行かずとも自宅からインタビューを受けることができました。極端な話をすると、そのインタビューに参加する日は、半日休みをとるだけで自分の場合は十分でした。インタビューの日程についても、『東海岸から西海岸へ』のようなフィジカルな移動がないので、何も気にせずに予定を組むことができました。正直、慣れてきた最後の方は全身スーツを着るのはしんどかったので、上半身だけきっちり整えて、ズボンと靴については自分が身につけていてリラックスできるものを着ていました。このインタビューのオンライン化によって一体自分がどれだけの時間とお金を節約できたかわかりません。

渡米前のPCR検査の恐怖

もうずらせないフライトを目の前にしてコロナのPCR検査を受ける恐怖も多くの人が経験したことがあるのではないかと思います。自分が住む県にはそもそも近所にPCR検査をしてくれる場所が多くありませんでした。どこでどのタイミングで検査を受けるのがベストかという情報を探すのに、非常に多くの時間を使いました。当時から検体を郵送することで格安でPCRをしてくれるサービスは存在したのですが、郵送の際に検体がロスしたり、決められた時間通りに結果が届かないリスクなどを考えると、選択できませんでした。自分は一生懸命探したのち、自宅から車で50分程度の同じ県内にある開業医のところで、証明書を書いてもらうことにしました。2-3時間の待ち時間の後、すぐに証明書をもらえたので、非常に助かりましたが、約4万円の出費は軽いものではありませんでした。また、今後帰国するたびに家族全員またコロナの検査を受けないといけないのかと思うと頭が痛くなりました。ちなみに陰性の証明書を握りしめて帰宅したその日に、子供が発熱したので、渡米までの数日間は子供とは離れて過ごしました。自分は単身で渡米し、9ヶ月後に家族を米国に連れてくるために帰国する予定を組んでいたので、一旦渡米すると最低9ヶ月間は子供に会うことができません。この渡米前の限られた時間で貴重な時間でさえ子供と一緒に過ごすことができないことを大変悲しく思い、コロナを恨みながら、一人で布団の中で泣いていました。

こうやって当時のことを振り返ってみると、なんだか今の自分がとても幸せに思えてきて元気が出てきます。笑 既に時間は経っていますが、思い出しながらコロナに翻弄された渡米前の日々を綴ってみました。こうやって当時のことを思い出すと、今も先が見えない不安は一緒ですが、こうやって家族みんなで生活できているだけで幸せなのだと思い知らされます。

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