日本の患者さんを診ることで救われた経験

更新日:

米国での生活も2年目に突入しています。無事にPGY2 (Post Graduate Year 2) になることができ、新しく入ってきた新1年目(インターン)と一緒に勤務しています。自分が所属するプログラムでは、1年目から2年目までのトランジションの一環として、6月の中旬にdidacticの時間を利用して、簡単なテストを設けています。先輩が新しく入ってきたインターンのふりをして、症例について不適切なプレゼンテーションをしてくるので、それをうまく訂正しつつ、教育も行うというものです。自分もこのテストを受けたのですが、幸いファカルティーの先生方からは良い評価をもらうことができました。この苦しかった1年で自分はある程度成長できたのではないだろうかと感じることができた嬉しい経験でした。

唯一自分を信頼してくれた存在

思えば、渡米直後からしばらくは本当に低い評価しかもらえず、周りからも認めてもらえず辛い思いをしました。診療では患者の言っていることがよく分からないことも多々で、患者から『はぁ?』というような顔をされることもありました。仕事でもうまくいかず、小児科の指導医から厳しい評価をもらったことがきっかけで、指導医に対しても疑心暗鬼になりました。クビになる可能性もちらつかされ、自分でも本当に自分が米国でやっていけるのか分からなくなり、不安になりました。そして自分で自分のことを信じることができなくなりました。

何かの本で読んだ記憶がある(どの本かは思い出せない)のですが、自分で自分を信じることができなくなる時が精神的に一番危険であるという記載をみたことがあります。これまでの人生で、挫折経験はないわけではありませんが、これほどまでに『できないやつ』扱いをされたことはなかったわけで、急に劣等生になった自分をどう受け止めていいのか分からなかったのかもしれません。特に渡米後から10月くらいまで、自分の自己肯定感は地に落ちていていました。でも、そんなに辛かった期間もなんとか乗り越えることができて今は毎日忙しいですが、楽しく働いています。これは特に今年の春くらいによく考えていたのですが、あの頃はあんなに辛かったのになんで自分はなんとか乗り越えることができたのだろう、自分を支えたものはなんだったのだろうと思うことがあります。そして、唯一自分のことを信頼してくれた人がいることに気づくのです。それは日本人の患者さんです。

『ありがとう』の価値

自分の住む地域はある程度日本人のコミュニティーがあることもあり、渡米直後から、日本人の患者さんを診る機会が多くありました。もちろん、働き始めは、米国のシステムや周囲のリソースなど分からないことだらけだったので、質問を受けても曖昧なことしか伝えられませんでした。患者診療に時間がかかって、患者さんを長い時間お待たせしてしまうこともありました。それでも診察の最後には『米国に来て、日本語で診察してもらえるのはとても安心です。ありがとうございます』と言ってくれるのです。誰からも認められない自分に唯一感謝してくれる存在でした。日本人の患者さんからの『ありがとう』がなければ自分はどうなっていたのだろうと思います。

恩返しを込めて・・・

自分の所属するプログラムでは月に1回、週末を利用して日本人の患者さん向けにレクチャーを行っています。日本人の患者さんはどうしても言語の壁があって、医療アクセスの面でビハインドが生じます。そうした、ビハインドを少しでも少なくしようという思いを込めて、活動を行っています。次回のレクチャーでは新しいコロナワクチンのことなどを話す予定です。どのような情報が役に立つのか、どうすれば多くの人が集まり交流する場にできるのか。家庭医という立場からお世話になった日本人の患者さんにどのような恩返しができるのか、これからも考え続けるつもりです。

-臨床留学

Copyright© 自分のあたまで考える , 2024 All Rights Reserved Powered by STINGER.