米国から考える総合診療医のアイデンテティークライシスについて②

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前回の記事では日本で自分が専攻医として働いていた時に感じたことと、どのような体験が自分の総合診療医としてのアイデンティティーを支えてくれたのか、ということを記載しました。この記事では、同じテーマについて、アメリカに来てから感じていることを記載したいと思います。

専門科との比較・・・

家庭医療の研修では、多くの異なる科をローテションすることになります。例えば、自分のプログラムでは1年目では、救急科、ICU、小児科、産婦人科などをローテーションすることになります。そして、そういった科をローテーションするたびにその科を専攻するレジデントたちとチームの一員として一緒に働く事になるわけです。ここで問題となるのは、その専攻科のレジデントは当然ローテートしている私たち家庭医療のレジデントと比べてその科の知識に詳しく、技術も高いということです。例えば、内科のレジデントと病棟で働けば、当然彼らは専門科を含めて、内科病棟を多くローテーションしているので自分たちよりも内科全般の知識や経験が一般的に豊富です。A-lineや中心静脈穿刺といった手技の経験数も多いでしょう。小児科のレジデントだって当然、僕らよりも小児患者への知識は多いし、薬の扱い方なども慣れているでしょう。彼らと一緒に働いている際に仕事での効率性や貢献度などを考えてしまうと、同じレジデントでもどうしても自分たちは劣った存在になってしまうわけです。特に内科医との比較では、『でも私たちは子供も大人も見れて』と言いたくなりますが、自分の施設にはMeds-Pedsという内科と小児科が組み合わさった4年制のプログラムがあります。彼らの内科についても小児科についても家庭医療レジデントよりも濃厚な研修を積むので、個人の包括性で勝負しようと思ってもそんなに事は簡単に進まないわけです。そんな中で家庭医療レジデントがアイデンティティーを保ちながら頑張り続けることができる理由は何なのか?自分は米国では、研修となる家庭医療クリニックが存在するということと、仲間との繋がりがあげられると思います。

家庭医療クリニックについて

米国の家庭医療の研修では、それぞれのプログラムが核となる家庭医療の研修クリニックを持つことが義務づけられています。実際にクリニックには、非常に幅広い患者層が集まります。一般的な成人の予防医療、急性期診療だけではなく、新生児、小児検診、婦人科診療、依存症の診療などが含まれます。こういったクリニックで、定期的に診療をしているという事実が、自分たちを内科レジデントとは違う存在に位置付けさせてくれると感じています。ただ、これは日本では非常に難しい問題です。日本では医療システム上、ボリュームがあって、幅広い患者層を見ているクリニックは簡単には存在できないからです。米国では、患者はPCP(Primary Care Physician)を定めて、その患者にかかることが必要になることが多いのですが、多くの場合は家庭医、内科医、小児科医がその役割を担います。専門科のクリニックは存在しないわけではないのですが、受診の際の費用面などでもまずはPCPにかかろう、という人が多いのです。しかし、日本では専門科がみんな開業しているので、患者にとって見ればそちらに行ってしまうのが早いわけです。わざわざ一旦家庭医にかかるよりも、専門科に見てもらえばそれが早いからです。小児科の健診だって、まとめて自治体で行われるので、新しく開業した家庭医が小児健診の仕事の枠を手に入れることはできないでしょう。基本的にはその地域に開業する小児科の開業医によってその業務は占められているわけです。では、どんな時に患者は『専門家ではなくまずはかかりつけの家庭医に相談しよう』と思うのでしょうか?それは、やはりこれまでの信頼関係がある先生に見てもらいたい、ということだと思うのです。すなわち、色々な健康問題をこれまでそのクリニックで相談する機会がたまたま会って、その時に医師患者関係なり、診療内容なりで非常に良い経験をしたので、また同じところで診てもらいたい、ということではないでしょうか?また、小児の健診だって、その地域でずっと貢献し続けて自治体から信頼が得られているクリニックであれば、例え非小児科医だったとしても健診業務の依頼が来てもおかしくはないのではないでしょうか?何が言いたいかというと、日本で教育的で研修の核となれるような家庭医療クリニックを作ろうと思うと、長い時間をかけてそのエリアを耕して信頼を獲得して、患者個人からも自治体からも信頼を得て、専門医ではなくてまたここに来よう、このクリニックにお任せしようと思ってもらう必要があるわけです。これは決して簡単なことではないと思います。最低でも10年間はかかるのではないでしょうか。

信頼できる仲間の存在

また、仲間の存在はいつだって重要です。ありきたりな言葉になってしまいますが、一人では乗り切れないことだってみんなだと乗り切れてしまうことがあるのです。同僚やファカルティーの人数はもちろんですが、家庭医療プログラム内でのつながりの数と強さが自分たちが家庭医であるという矜持を再認識させてくれるのです。米国ではプログラムの1学年の人数は最低4人と定められています。これは、同僚の存在、人間関係、交流などが研修において必須であるということをACGMEが認識しているということだと思います。米国で家庭医療研修をしていて仲間に感じる想いは、自分が初期研修時代の同僚に感じた想いと近いような気がするのです。そこそこ整った研修病院では、初期研修医の人数は10人程度はいますよね。異なる地域から様々はバックグラウンドを持った医師が集まっていたのではないでしょうか。初期研修医の勉強会があったり、夜みんなで飲みに行ったりなかなか濃い人間関係があったのではないでしょうか?しかし、後期研修になった途端に急に同期の人数が減ってしまって、同じ境遇の仲間が減り、自分の悩みを相談する機会が減ったり、一緒に勉強する機会が減ってしまうと思います。米国で研修をしていて、家庭医療レジデントは初期研修医同士のような仲間の密度を持ちながら互いに切磋琢磨しているような感覚が自分の中にあります。

もちろん、自分はこれらの2つのことについて、米国で家庭医療レジデントが自信を持って働くのにとても重要だなーと感じているだけで、それを日本にどうこうと言っているわけではありません。ただ単に日本で研修を終えた後、米国でレジデンシーをやり直している一人の家庭医の感想と思ってください。家庭医療クリニックの整備と信頼できる仲間の存在、いずれについても日本でこれらを整えることは容易なことではありません。亀田ファミリークリニック館山、手稲家庭医療クリニック、弓削メディカルクリニックなどは両方揃った日本でも数少ないプログラムだと思いますが、こういったプログラムを作り上げようと思うと、一人の医師の人生をかけて成し遂げられるかどうか、という話になるような気がします。規模の小さい診療所群でプログラム同士の連携を強めたり、ある程度診療の包括性を諦めたりすることで、これらの王道のプログラムとはまた少し異なる毛色のプログラムがあってもいいのかもしれません。日本のプライマリケアに対して自分は将来どのように貢献できるのだろうか、と米国から考えています。

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