米国から考える総合診療医のアイデンティティークライシスについて①

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現在は1年目の研修で最もハードと言われているICUのローテーションをこなしています。自分以外はみんな内科のプログラムの先生なので、少しアウェイな感じはあるのですが、みんないい人ばかりでなんとか頑張れています。ちょっと英語ができるようになってきたと思っていたのですが、患者の家族が電話で言っていることが聞き取れずに聞き直したところ『お前はどこから来たんだ』と聞かれ、日本だと返答したところ、『それならもういいわ、バイバイー』みたいな感じで電話を切られて非常に凹みました。こんなことの繰り返しです。分かってはいますが、毎回落ち込んでいます。。。

さて、本日はICUを周りながら家庭医/総合診療医のアイデンティティーについて少し考えてみたので記載してみたいと思います。

専攻医時代の苦しみ

自分は家庭医療の専攻医として、恐ろしいアイデンティティークライシスを経験しています。医師4年目(専攻医2年目)の春のことです。ある程度、病棟での内科的なアセスメントができるようになり、独りで対応できる症例が増えるとともに、常時10-15人の入院患者を診察することに少しずつ疲弊し始めました。特に症例のほとんどが70歳以上の高齢者で、疾患の8割が肺炎、尿路感染症、慢性心不全でした。Biomedicalに強い刺激を受けることは少ない一方で、各科が主治医としてみている患者でも発熱すれば全て、自分たちで対応・入院加療する必要があり、どうしても「専門科がみたくない仕事」を押し付けられているような感覚がありました。これは有名なのですが「総合診療とひじき」に関する下記の記事があります。

賛否両論あるのですが、自分はこの感覚は非常によく分かります。自分の上司は『ひじきの画期的においしい食べかた』を一生懸命教えてくれましたが、やはり他の科から患者を押し付けられているのではないかという感覚は消えませんでした。中でも一番きつかったのは、「知らない施設から来た誤嚥性肺炎の患者を自分の知らない施設に返す」ことでした。これは自分の中では時に単純な作業となっていました。抗生剤、補液、言語療法士へのコンサルト・・・。これまでのその人の人生に踏み込もうと思っても、そんなことは全く求められていないし、また忙しくて踏み込む時間がない(そんな時間があるなら、自分の家族との時間を大切にしたりしたい)と思うこともありました。これまでのその人の人生を何も知らないにも関わらず、全く知らない患者の家族に厳しい病状説明や経管栄養の導入などの重要な面談しながら、これは本当に自分がすべきことなのか、と疑問に感じていました。また、当時は近隣に診療のアップデートが明らかにうまくいっていない診療所があり、非常に頑張って内服調整して返した患者の処方が短期間でめちゃくちゃにされて、患者がすぐに病院に帰ってきてしまうという経験も、自分の無力感を強めました。このような経験を経て、自分が何のために働いているのか、よく分からなくなってしまいました。自分は総合診療医なのですが、自分が目指している総合診療医とは一体何なのか?考えれば考えるほど答えが見つからず、後期研修を終わってからどのように生きていくのか、悩み始めました。考えすぎて、夜眠れなかったことも一度や二度ではありませんでした。そして、それこそが米国の家庭医療に憧れ、渡米を目指した理由の一つでした。自分の経験からは、幅広い患者層を持った診療所での研修や、ある程度急性期診療に特化した病棟研修では、このようなことは起こりづらいと思います。しかし、中小規模の病院における泥臭い病棟診療の現場では、このような悩みを抱えたことがある人はその程度の差はあるかもしれませんが、少なくはないのではないでしょうか?

継続性を持って患者に関わること

そんな自分に一つの答えをくれたのは、自分が医師5年目で経験した一人の誤嚥性肺炎の患者でした。当時働いた100床の小病院では週に半日訪問診療の枠があり、ストレスの強い病棟診療がメインとなる研修の中で、週に半日の在宅の時間は自分にとって非常良い気分転換のような時間にもなっていました。その患者は自分が在宅で主治医としてみている患者でした。短い期間に肺炎を繰り返し、入院するたびに自分が病棟でも主治医として診療していました。1年間に亘り、月に1-2回継続して訪問していたので、その人の性格やこれまでの人生、妻の介護負担、遠くに住む家族のことまである程度、情報は把握できていました。そんな中、その患者が自分が引き継いでから、誤嚥性肺炎で3回目の入院することになりました。残念ながら、嚥下評価では十分な経口摂取量を確保することは難しい状況でした。このような状況で今後どのようにケアを調整していくかということを、患者だけではなく、多職種で一生懸命話し合いました。本人の自宅に帰りたいという意向、妻の介護力の低さ、頻回の吸痰の必要性、自宅看取りの現実性などを総合的に判断して、関わる皆で最善のケアを考えていく過程で、自分がその患者に深く関わり、役に立てているのではないかと感じることができたのです。結局はとりあえず1週間と期間を決めて退院し、うまく在宅でやれることができれば再入院をキャンセルするという方針となりました。患者から『ありがとう』と言われた時はとても嬉しかったし、自分が働いていることの意味を感じることができました。

まとめると、個人的には病棟で高齢患者の肺炎、尿路感染、慢性心不全を診療し続けることで、重症患者や不明熱患者を見ている時に感じるような、医師としてのチャレンジングな気持ちを抱くことはなかったし、診療を続けていくことで、どんどん成長していけるという実感もなく、そういう病棟業務「だけ」に自分を捧げていけるかというと無理だと思いました。本当にこのままでいいのだろうか、自分がやっている診療は一体なんなのだろうか、と不安になりました。たとえそれが、不明熱診療よりも何十倍もニーズのあることだったとしても。ただ一方で、こういった病気を起こす背景を持った患者やその家族と継続性を持って関わることには面白さややりがいを見出すことができたのです。上であげたように、自分が外来や在宅で見ていた患者に何か起こった時にこれまでの関係性をもって意思決定を支援することで患者の希望に沿うことができたと感じられることは、自分が病棟でやってきた診療の意味を変えたのです。そういった意味で、研修の中で、しっかりと継続性を持った患者のパネルを持つことは非常に重要なことだと思います。可能であれば、在宅・外来の患者が入院した際に、自分たちの病棟でケアできるような体制が作れれば、そういった関係性を持った関わりを体感しやすくなるように思います。これが日本にいながら、自分が感じたソリューションの一つでした。

次の記事では、自分が米国に来てから、米国の家庭医療レジデントのアイデンティティーについて、感じたことを中心に記載してみたいと思います。

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