新しい挑戦の初め方

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医学部卒業から年次が経っての米国臨床留学挑戦は先の見えない非常に不安定な道です。臨床留学自体は医学生時代から自分は留学を目指すのだと決めて取り組んで入ればほぼ確実に成し遂げられる類いの進路と思うのですが、自分のように年次が経ってからの挑戦はどんなに頑張って成功しようとも成功確率は100%にはなり得ません。なので、このような背景を知る人からたまに『なぜ、このようななぜ先の見えない不安な挑戦を開始することができたのか』と言う質問を受けることがあります。このことについて上手く回答できずにいたのですが、たまたまYoutubeで、元陸上選手の為末大選手が努力する能力とは何かということについて説明している動画を見ました。この動画の内容に非常に共感し、自分の体験にも通ずるところがあると思ったので、思わず記事にしてしまいました。

為末選手によれば(自分の言葉で少し言い換えています・・・)、努力ができる才能とは、ただ忍耐強かったり、我慢強かったりするだけではなく、未知のものに取り組む中で、自分の中に新たなもの差しを作り、なんとなくその未知なものが分かるようになること。そして当初は未知であったゴールを達成することで、その経験を通じて、自分には自分が今いる場所から離れた場所や想像がつかない地点に辿り着く力があるのだと信じれるようになることだと述べています。

自分の話に置き換えてみると、米国への留学はまさにそれに当たります。当時米国に行こうと思い立った医師4年目の自分は、全く英語が話せませんでした、また、臨床留学を志す多くの先生は学生時代に受験しているであろう米国の国家試験についても何も知識がありませんでした。多分、誰一人として、自分が将来米国で医師として働いているなど想像できなかったはずです。そして、当時は全く未知であった米国までなんとか辿り着くことができたという経験は為末選手の言う通り、確実に今の自分にある種の自信をもたらしています。『今はまだ想像がつかない世界でも努力を継続すれば辿り着けるかもしれない』という思い込みであり、『未来の自分はひょっとすると今の自分よりもさらに大きく成長した自分になっているのではないか』と言う希望でもあります。最近はプログラミングの勉強はほとんどできておらず、臨床研究の勉強や取り組みも足踏みの状態になってしまっていますが、これらについても4-5年しっかりと努力を続ければ、ある程度世間で通用するレベルには辿り着けるのではないか、という根拠のない思い込みがあるのです。そういった思い込みは、何か新たな挑戦を始めようとした際に確実に自分の背中を押してくれるのです。

そして面白いことに、こうやって分析して考えてみると、この米国臨床留学への挑戦自体が、それまでの自分の成功体験に基づく自信や希望によって背中を押されていたのだということに気づきます。大きいものでは、高校生3年生の春に急に医学部を受験する挑戦がありました。自分は高校3年生の春までは医学部を目指すつもりなど全くなかったので、生物を選択しておらず、関西圏には受験できる国立大学は2つしかありませんでした。しかし、一生懸命情報を集め、勉強をし、なんとか合格することができました。それより以前の小さい成功体験でいえば、中学生のバスケットボール部での経験、小学校のスイミングの経験、公文式の経験など、、、そういった小さい成功体験が積もり集まって今の自分を支えてくれているのだ、としみじみと感じるのです。

本当に細かい成功体験を与えてくれた両親には心から感謝しています。自分の子供にも挑戦を恐れない大人になって欲しいし、そのためにも、自分の両親が自分にしてくれたように、小さな成功体験をいっぱい与えてあげたいと思っています。

-雑記

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